活動について

演奏:共演の場での学び

写真:オーケストラとの共演 指揮は小松一彦氏(1947-2013)

演奏というと、人によってイメージするところは様々ですが、私は、演奏というと、指揮者の許でオーケストラが一丸となって音響による美の世界を創造する様子がイメージされます。

私は、オーケストラ作品、器楽作品の中の声楽奏者として演奏した時に、自分はただの声楽の楽器になっているのを感じることができます。

オーケストラのたとえようのない繊細な響きは私の身体細胞の一つひとつに響いて、かつて私たちが居たこの世に一つの美の世界に連れていくと感じます。器楽奏者それぞれの役割に加わった、私は詩を歌う役割の一つの楽器として、指揮者の許でオーケストラの一員として作品を奏でていきます。

R.シュトラウス作曲《四つの最後の歌》の輝く光のような繊細なオーケストラの響きに、歌う楽器である声楽家の発する詩の言葉は捕らえられて運ばれ、漂いながらオーケストラの一員として作品を奏でていく至福の感覚、J.S.バッハ作曲カンタータ51番では、正に楽器の一つとなってアンサンブルを紡いでいくスリリングな感覚、マーラー・・・などなど・・・、感受性が開発されていくということはこういうことなのかな、とオーケストラや器楽アンサンブルとの演奏の機会に、私なりに感じてきました。

貴志康一は、オーケストラ版の日本歌曲を作曲しており、当時、貴志康一がドイツで交響楽団と演奏した彼の作品の中で、これら日本歌曲は大変な高評を得たことが当時の新聞記事に記されています。指揮者の小松一彦氏は貴志康一作品を多く演奏されており、演奏の機会の度に、歌詞をより良く表現するための言葉の強調やテンポの設定について、納得のいくまでミーティングをしてくださいました。

私は都響の定期演奏会(小松一彦指揮)で貴志康一の日本歌曲(かごかき、赤いかんざし、かもめ、天の原)を歌った時に、日本人の情感をこれほどまでにオーケストラが高らかに歌いあげることができることに感動しました。貴志康一がオーケストラ日本歌曲を作曲した想いを、実際に演奏体験したことで、私なりに感じました。貴志康一は、日本人の情感を表現するのにオーケストラの音響に在る繊細さが必要と考えたからではないかと私は思っています。

演奏すればするほどに感じるのは、貴志康一の日本人と日本文化への愛情と信頼です。良いと思うものを多くの人と分ち合いたいという想いを、私はこれらオーケストラ日本歌曲に感じます。貴志康一は同じ歌曲のピアノ伴奏譜も作曲しています。

※貴志康一記念室には貴志康一に関する全ての資料があります。

共演の場での学び.pdf

 

 

PAGE TOP