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演奏会のお知らせ:11月17日(金)オペラMulier fortis コンチェルタンテ

写真:2013,2014年のMulier fortis上演時の楽屋風景。左に豊田喜代美(ガラシャ)と、大上幸子いと

本年11月17日(金)に、オペラ《Mulier fortis(勇敢な婦人)》を演奏会形式で開催することになりました。B.シュタウト作曲、B.アドルフ台本により、1698年にウィーンの宮廷内で初演された作品です。

11月17日の演奏会の会場は、上野の旧東京音楽学校奏楽堂で、開演は19時で開場は18時半。入場料は5000円で全自由席です。お問合せ先は070-8996-7469(MAE Co., Ltd)まで。チケットぴあPコード:248250 です。

Mulier fortisは、細川ガラシャの生き様が当時のヨーロッパで賞賛され、オペラになったものです。1698年にウィーンのレオポルド1世他の王族の前で初演され、演奏者はハプスブルク家が後援しているギムナジウムの生徒とプロの音楽家でした。ギムナジウムの生徒は、このオペラを上演することで、フェンシング、ダンス、ラテン語を学習し、細川ガラシャの生き様を通してキリスト信仰を深めた、と考えられています。台詞と音楽で構成され、使用言語はラテン語です。台詞部分は、細川ガラシャ、細川忠興、他の史実の人物が役名に在り、音楽部分は「不変」「怒り」「後悔」「不安」「残忍さ」「逆境」「顕彰」という人間の感情が役名になっています。

音楽は、事実に左右されない、時間空間を超越した存在として、全ての人間が持っている「感情」を役名としてあるのだと、私は考えました。

細川ガラシャは当時禁制のキリシタンであり、逆族とされた明智光秀の娘であったため、その生きた記録も遺物はほとんど残されていないということですが、当時の宣教師は詳細な細川ガラシャの生き様の記録をひんぱんにヨーロッパに送っていました。日本では抹殺されようとした細川ガラシャの存在はMulier fortis(勇敢な婦人)というオペラ作品の中に遺されることになりました。

このMulier fortisを演奏すると、その音楽の響きの中に細川ガラシャの清冽さが現前と立ち現れ、私なりにその存在を感じることができます。細川ガラシャは夫の忠興との約束「決して人質にはならない」を、キリストによって守り抜くことができた、と私は思っております。細川ガラシャの本意を知ることは叶いませんが、このMulier fortisの音響の中に細川ガラシャの存在を、人それぞれに感じ取ることはできるのではないかと思います。

細川ガラシャの最期の様子を、細川護貞『魚雁集 細川家に残っている手紙』(思文閣出版 平成 2 年発行 懐徳録 ガラシャ婦人の最期 144 -146頁)に知ることができます。

【ガラシャ婦人の最期   忠興夫人は、夫忠興を始め、子供たちへの形見の品や消息を、「おく」と「しも」の二人に渡し、三男の三千代の乳の人には、三千代の形見を渡した。「おく」と「しも」の二人は、夫人のたっての「仰せ」こばみがたく 、 夫人の最期を見届けてからこの館を逃れ出で、その有様を忠興に知らせることを約束した。夫人は、さては心にかかる事なし。小斎、介錯仕り候えと命じ、小斎は長刀をさげ、老女を先に立てて次の間に来た。夫人は髪を自らキリキリと巻き上げたが、小斎が、左様にてはござなく候と言うと、夫人は、心得たりと言って襟を両方へハッと押し開いた。小斎は敷居をへだてていたが、御座の間に入り候こと憚り多く候えば、今少し、こなたへ御出遊ばされ候 えと言った。夫人はそこで敷居へ近い畳へ居直った。小斎はその時、長刀で夫人の胸元を突き通した。「おく」と「しも」は泣く泣く身支度のためにその場をはずし、小斎らは、夫人の遺体に蔀 (しとみ や やり戸をかけ「鉄砲の薬」をまきつけて火をかけた。別室に下がった小笠原小斎と川北無世とは、川北六右衛門の解釈で切腹し、六右衛門も切腹した。金津助次郎は、夫人の遺骸が燃えつきるまで、燃草を投げ込み 、台所にはしごをかけて屋根の上に出で、大肌抜いで立ちながら、われは金津助次郎という者なり。越中守奥方生害にて、小斎、石見も殉死を遂げおわんぬ。士(さむらい)の腹切って主の供する様を見よ。と高らかに呼ばわり、腹切って焔の中に飛び入った。「おく」と「しも」は仕度をして外へ出ると、早、火は家にまわっていた。小斎に頼まれて飛脚となった介六と新左衛門も家を出て二丁程行くと、猛火が盛んに燃えさかっていた。介六は、主、親の最期を見捨て、一歩も先へ行かれずと言って引き返して火の中に飛び込んでしまった。以上が、忠興夫人の最期の有様である。時に夫人は 37 歳であった。夫人は初め、建仁寺の芝浦永雄長老に三十余回も参学した。夫の忠興は夫人に向かい、大徳寺の参学よりは心安き物なるべしと言っていた。その後、加々山小右衛門の母が切支丹を薦めた。夫人はかねがね、ことのほか「物忌み」をしていたが、切支丹となって、それも少なくなったので、忠興は、切支丹は物を打ちやぶりにして“はか行く”べしと考え、薦めたことさえあったが、のちには、やめさせようとしても、夫人はやめなかった。夫人の身近にあったものは細川家にはほとんど残っていないが、わずかに短冊一枚、書簡一枚、光千代のために作った下着数枚、それに刺繡のある布のみが残っている。】

私は読んだ時に、細川ガラシャが直ぐ傍で生きて、今この世を去ったように感じ、その哀れさと健気さに感動して号泣しました。幼い光千代のことが、どれほど気がかりであったことでしょう・・・。それでもガラシャにとって、夫・忠興との約束が最も重要だったのだと私には思えるのです。細川ガラシャの歴史については様々な解釈があり、誰も真実を知ることはできません。私が感じているのは、幼い時に結婚した同い年の忠興への愛です。

このオペラ作品Mulier fortisでは史実とは異なり、細川ガラシャは弱っていって病気で亡くなったことになっています。最初にこの楽譜を見ていただいた上智大学名誉教授のペトロ・ネメシェギ神父様は、その場で即、ラテン語を翻訳して下さり、「この作品をこのまま日本で上演してはいけません。忠興が極悪人として描かれており、ガラシャも病気で死んだことになっていて史実とは異なり、到底日本人に受け入れられないものです。」との強いご意見を頂きました。オペラMulier fortis作品は、公演実行委員会活動として演奏していますが、このネメシェギ神父様のご意見は、本実行委員会の考え方の基盤になっております。

演出家の平尾力哉氏も史実に則った内容にすべきとのお考えで、オペラ上演にあたっては、この作品の音楽部分のみを取り出して演奏することに決め、この音楽の音響の中に細川ガラシャを描き出すために、史実に則った日本語の台詞とナレーションを最小に入れた制作を行い、沖縄県立芸術大学奏楽堂にてオペラ上演されました。そして上智大学創立100周年の記念イベントの一つとして、2013年12月に紀尾井ホールで上演され、2014年1月には同じく長岡京市のホールでオペラ上演されました。

これらの上演では、台詞(2場面のみ)とナレーションによって細川ガラシャの生きた戦国の世情の史実が日本語で語られることで、戦いに明け暮れる戦国の世の中にあって信念を貫いて散った細川ガラシャの生き様が臨場感を持って感じられた、という感想を複数頂きました。今回11月17日は演奏会形式ですが、この平尾力哉版の台詞とナレーションを入れて行います。

オペラMulier fortis(勇敢な婦人・細尾川ガラシャ)公演実行委員会構成メンバーは、澤 和樹(ヴァイオリン,指揮)、北川 央(日本史)、佐久間 龍也(ピア)、田中 裕(哲学)、西脇 純(神学)、豊田 喜代美(声楽)で、澤 和樹氏と豊田が代表として運営の決定をしております。

本実行委員会で大切にしていることの一つは若手の育成です。芸術の真の技は同じ舞台を踏むことで伝承されると言われ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会でも、師匠である奏者の隣で真っ赤に上気した顔で必死に演奏している極若い奏者を見ると、社会全体で育てているのが解ります。11月17日の演奏会は声楽と器楽の奏者12名の内8名が20歳代の若い奏者です。

本演奏会の出演者は以下のとおりです。指揮:澤 和樹(ヴァイオリン,指揮)、声楽家:豊田 喜代美ソプラノ(Constantia不変/細川ガラシャ・台詞)、加賀 清孝バリトン(Poenitud悔悛/細川忠興・台詞)、小貫 岩夫テノールCrudelitas残虐/Adversitas逆境)、小池 優介バリトン(Furor怒り)、金沢 青児テノール(Praemium/報奨)、西山 詩苑テノール(Inquies不安 /Constantia不変)、大上 幸子ソプラノ(いと/語り手)。器楽奏者:佐久間 龍也(コレペティトア,ピアニスト)、鈴木 愛美(チェンバロ)、吉川 采花(第1ヴァイオリン)、上薗 綾奈(第2ヴァイオリン)、吉澤 知花(ヴィオラ)、神倉 辰侑(チェロ)、中島 澪(コントラバス)、林 翔子(稽古ピアニスト)。台詞・語りの作成:平尾 力哉。舞台スタッフ:アートクリエイション(林 智子,井坂 舞)。

Mulier fortisの音楽は非常にシンプルで、音質の美しさが最重要であると私は考えております。多くの皆さまとMulier fortisの音楽を通して細川ガラシャをそれぞれに感じることができましたら幸いに思います。応援にいらしてくださいますようお願い申し上げます。現在、発売中です。11月16日まで発売しております。

このような音楽を生み出してくれた細川ガラシャ夫人に、改めて、感謝と尊敬を捧げます。

出演者の皆さまと共に、澤マエストロの下、良い演奏になるよう努めます。どうぞよろしくお願いいたします。

チラシが出来て参りましたので掲載させていただきます。

実行委員名の内、北側央を北川央に訂正させていただきます。ミスを深くお詫び申し上げます。

 

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