活動について

演奏:声楽の楽器について

写真:つう オペラ《夕鶴》作曲:團伊玖磨 与ひょう:永田峰雄(1954-2020)指揮:團伊玖磨 演出:鈴木敬介(日生劇場)※永田峰雄さんの歌声の響きは心に真っ直ぐに沁みとおってくる人情味の豊かさとあたたかさに満ちていて、その声は純情な与ひょうそのものでありつうが自らの生命にかえても与ひょうの願いを叶えてあげたいという気持ちをどう歌えば良いのか一緒に歌っていて自然に導いてくださいました。永田峰雄さんの歌声は世界的に認められたモーツァルト作品に適した歌声であることが私なりによく分かりました。共演させて頂いたことを感謝しています。・・・心から哀悼の意を捧げます。『永田峰雄 略歴:参考文献ウキペディア:東京藝術大学卒業、同大学院修了。第1回日本モーツァルト・コンクール優勝1986年。ザルツブルグゾンマーアカデミーコンクール優勝1988,1989年。モーツァルテウム音楽院最優秀賞受賞。アサヒビール芸術文化財団奨学生として渡欧1991年。同年,ザルツブルク音楽祭「サティリコン」に出演。ライプチッヒ歌劇場と客演契約1992年。ヴユルツブルグ歌劇場1993年,トリーア歌劇場1995年,ギーセン歌劇場1996年,ボン歌劇場1999年,2001年からミュンスター歌劇場専属歌手。』

 

■ 『声楽の楽器について』 豊田 喜代美(声楽家,博士)※参考文献引用文は太字で記します.

【日本歌唱芸術協会(本部:沖縄)https://www.jsaa-okinawa.org/ 会報2023年3月号より転載した原稿に加筆したものです】

クラシック音楽の器楽の場合、例えば、ヴァイオリン奏者にはヴァイオリン、ピアニストにはピアノという楽器が用意されているのに対して、声楽の楽器は身体であり、その身体は、100人100とおり、個々人が異なった身体的特徴を持っていることから、最終的には自分自身で楽器を作ることになります。

その方法は、先ず声楽の楽器としての構造の知識を持ち、発声のメカニズムを知った上で、呼吸法・発声法・共鳴法の訓練を行っていきます。それは、歌唱のために調整された呼気が声帯をとおり、共鳴腔で共鳴して倍音をともなった音声獲得を目的とするものです。

身体が声楽の楽器として歌唱する際、身体の各部位は適切に体系化された一つの発声機構となり、楽器として機能します。

この発声機構を確立するのには、地道な発声トレーニングの努力と長期の忍耐力が必要であることを、世界的に活躍したソプラノ歌手の東敦子氏は、「出口の見えないトンネルを掘るような壮絶な努力」と仰っています。目標とするところはオーケストラの響きと共に十分に演奏できる楽器と発声技術を手に入れることです。

[歌声と共鳴]    「声量」というと大声をイメージする方が多いようですが、豊かな声量は豊かな共鳴とイコールです。「そば鳴り」という言葉があります。これは、近距離や狭いスペースでは声量があるように聴こえても、遠距離や大ホールなどでは歌声が聴こえてこない現象のことです。ですから、本協会の声楽愛好家会員における研修成果演奏会である『歌の集いin沖縄』は本格的コンサートホール(パレット市民劇場)で開催しております。

幼い頃から始まり音大や研修所での研鑽を経ながら声楽の道を歩んでいる本協会の専門家会員は、試験,オーディション,オペラ総合授業,合唱授業,オーケストラ演奏研修などでのホールでの歌唱体験から自らの歌声が演奏上、どのように響いているのかを知って、その成果と反省が成長に寄与しています。

本協会声楽愛好家会員の皆さまの声楽研修においてもホールでの演奏体験(ソロでも合唱でも)が有効と思います。本格的ホールでの自分や仲間の歌声の響き具合を体感することで、そば鳴りの響きに陥っていないかどうかを自覚し確認できます。また聴いた仲間から感想をいただくことができ、「よし!このままの調子で行こう!」「もう少し声を響かせるようにしよう!どうやって…?」などなど、自らのトレーニングの進め方に気づきがあったり、自信を得たりできる「場」になっていることと思います。

[米山文明先生(1925-2015)]    筆者の声楽発声の理論的指導者は耳鼻咽喉科医師の米山文明先生です。ご著書は多数あり、特にDVDの映像を見ながら説明を聞くことのできる『声の不思議~美しい声を作るために~音楽の友社』は再販されてロングセラーになっています。発声の仕組みについての映像とお話しが大変に簡潔にまとめられており、理解が容易であると思います。このDVDには後藤美代子アナウンサーとの対談形式で私の映像も収められております…。米山先生からこのDVDに出演して声楽家の現状をお話しするように言われた時には驚きましたが、当時のあるがままをお伝えさせていただくことで、自分自身についてよくよく考える貴重な機会となりました。

米山先生の診療所は渋谷に在り、筆者は音大生時から主治医として大変にお世話になりました。未だ喉に赤みが残る状態でのオペラ公演が一度あり、その時には会場に診療かばんをご持参になり、異変があれば即楽屋に駆けつけられるよう、出やすくて楽屋通路に近い席をご所望になられました。他の声楽家からも米山先生は徹底して声楽家を助けることに全力を注いでおられたことを聞いています。筆者の知る範囲は声楽家ですが、声楽家だけでなく、新劇の俳優さん、歌舞伎役者さん、邦楽の歌い手さん、アナウンサー、声優さん、などなど、米山診療所の患者さんの全ての人の声を護ることに心血を注いでおられたことを、後に知りました。女優の吉永小百合氏は、米山先生の治療と発声アドバイスによって声が蘇ったことを著書にしていらっしゃいます。

米山先生は当時、フィッシャー・ディスカウ(Dietrich Fischer-Dieskau,ドイツ1925 – 2012) E.グルベローバ(Edita Gruberová, チェコスロバキア/現スロバキア1946-2021)など、来日する名だたる声楽家の日本における主治医として、声楽家のみならず、日本の招聘元の担当者にも絶大な信頼を得ていました。グルベローバ氏が喉に違和感を覚えて米山先生の診療を受けたところ、声帯に赤い炎症が少しあることを告げ写真を見せたところ、グルベローバ氏は即刻演奏会をキャンセルしたことをお話しくださり、その迷いのない判断を指して「プロたるものはこうでなくてはならない。」と仰いました。困り果てている招聘元の担当者を非常に気の毒がっておられました。

また、米山先生は、筆者の博士論文研究の外部専門指導教官のお一人として声楽発声の理論面および科学実験・検証についてのご指導くださいました。もう一人の外部専門指導教官は慶應義塾大学の古川康一教授(スキルサイエンス)です。

[米山文明先生が常々語っておられたこと]     米山先生は、主観にかたむきがちな声楽発声トレーニングに科学の客観性を加えることの重要性を指摘しておられました。また、声楽家志望の学生に対して指導者の当たり外れがあってはならない、と常々語っておられ、声楽学習者も指導者も発声のメカニズムの共通認識を持つことは必須である、としていらっしゃいました。その知識を持てば、個別の身体であっても発声のメカニズムは同じなので、指導者の言に迷った時は、自分自身で考えて判断することが可能であり、指導者とも対等に議論ができるとのことです。自分の身体なのだから自分で考えることができなければならないし正解は身体の持ち主である自分の中に在る、とのことでした。そして、正しい発声のメカニズムを知っていれば、声楽家だけでなく誰からも何か自分に有効な発声法の気づきが得られるものだと仰っていました。

[声楽発声技術学習の問題]      歌唱の際の声帯などの身体内部の状態は視覚的にとらえることができません。この問題に対しては、1885年に、声楽教師のマヌエル・ガルシア(Manuel Garcia)が、鏡を自分の喉に入れて光を当てることで、声帯が動く様子を見ることに成功して、ひとつ解決が見られ、この発見を、ガルシアがロンドンの王立協会に報告したことをきっかけに、咽頭喉頭科学の医学的分野が開かれました。声帯が動く様子を見ることが可能となったことは、耳鼻咽喉科の医師が、歌手の声帯の実体を見ることができ、治療に貢献しています。また、声帯の実体の視覚的把握は、発声機構を考究する上でも、重要な資料となっています。しかしながら、歌唱は、発声器官とそれに関連する筋肉、及び、全身の筋肉と骨を使って行われ、また、歌唱表現においては音楽作品との関係から精神的活動の重要性も増します。声帯の動く様子のみ視覚的にとらえることができても、歌うという身体的精神的な全身体的活動においては十分ではありません。この問題に対しては、歌手、ボイストレーナー、医師などの発声訓練指導者は、聴取した歌手の発する音声の特有の倍音を聴き分けることによって、その音声を作っている発声器官と呼吸器官の状態、及び、筋肉の運動状態を判断するという方法をとっています。したがって、歌唱の発声技術の考究には、歌唱における解剖学的、及び、生理学的知識をもって、それらの要素が、どのように協調活動して、歌唱のための発声機構がコントロールされるのかを、歌手と発声訓練指導者は知る必要があると我々は考えます。

歌唱の音声はどのように形成されるのか。米山文明氏が示した、歌唱における音声の形成に必要な三つのレベルを次に記します。

音声の形成に必要な三つのレベル   1.音声の動力源-呼吸のレベル:肺から気管を通って排出される呼気流と呼気圧が音声形成のエネルギー源となる。2.音声の音源-喉頭のレベル:呼気流の運動エネルギーが声帯振動を介して音響エネルギーに変換されると、喉頭原音とよばれる音声の音源が生まれる。そのメカニズムは、肺から送られた呼気流が、喉頭にある声門閉鎖と声帯振動によって、その声帯振動数に応じた回数の断続気流をつくり、この呼気流の断続波が空気の唸り現象による振動音となる。この振動音が喉頭原音である。3.音声の音色-共鳴のレベル:呼気流からつくられた音源は、共鳴腔で振動することによって、さまざまな音色に変化することができる。喉頭原音は、声帯から上の、声道(喉頭腔、咽頭腔、口腔)、及び、咽頭から分かれて鼻腔に抜ける鼻道、さらに、顔面の鼻腔周辺にある、副鼻腔とよばれる骨の空洞に共鳴する。

[F.フースラー(F .Husler, 1889-1969)の説]       声楽発声を生理解剖学的見地から研究した声楽発声研究者で教育者のF.フースラー(スイス)は、「歌うことは人間の自然な衝動であり、歌う身体的機能は人間に本来備わっており、ことばの発達にともなって衰えていった。」と指摘しており、そこには、声楽の楽器作りとは、歌う身体機能を再開発することである可能性が示唆されています。

歌と言葉について:これまで、ヘルムホルツの音声音響学的実験科学においてはすでに、歌とことばは、音響学の素材として異なった根源に基づく現象であるとの認識が示されています。

フースラー(F .Husler)は、歌とことばの現象は、発声器官の異なった働きの機構を経て作り出されているとし、その理由は、人類の進化の歴史上、歌とことばの成立の時期が異なっていることに依拠しているとしています。声楽におけることばの問題は、ディクション(diction)として扱われます。歌唱時、呼気が上方に押しすすめられ、共鳴腔に共鳴して歌声がつくられるのと同時に、この呼気を利用した唇、舌、軟口蓋、下顎、及び、歯などの構音器官のはたらきによって、言葉がつくられます。以上をふまえ、歌唱における、歌声の発声面とことばの発語面というのは、歌唱の呼気の流れの二つの側面であると我々は認識しました。

音声の共鳴:喉頭原音が共鳴腔に作用して音声となります。これら共鳴腔に作用した部分が基本的周波数のいろいろな倍音に反応してさらに増幅し、これら増幅された倍音振動の諸群(フォルマントformant:母音の構成素音。母音のなかに含まれその存在によって、各母音に特有の音色を与える共鳴音で、舌の位置、状態と唇、及び、下顎の位置で定まる。)の声質、及び、数は、振動する声帯から生じる喉頭原音が共鳴させられる空気空間の長さ、また形状によって決定されます。プロクター(Proctor,D.F.)は、通常少なくとも二つのフォルマントが、明らかに言葉を聞き取りやすく、わかりやすくし、特殊の場合は、追加されたフォルマントが、声の特徴を作り出すことに重要な役割を演じているとする見解を示しています。

次に、声楽の発声技術を考える上で必要な基本知識を、米山文明執筆の文献を参照して確認します。

歌唱の発声技術の概要:甲状軟骨中央部の内側から後方(背側)に向かって水平方向についている声帯(vocal fold)の前端は左右が接着し後端が開閉する。この左右の声帯が閉じたところに息の流れ(呼気流)の呼気圧が加わり、強制的にこじあけて息が通り抜けようとする。ベルヌーイ効果によって閉鎖が促進された声帯は、また次の瞬間には呼気流にこじあけられる。このことによって、呼気流は声帯の振動(開閉)の数だけ分断されて気流の疎密波をつくる。我々はこれを「音」(音波)として聞いている。したがって、声帯の振動(開閉)する数が音の振動数つまり音の高さと一致する。このレベルでつくられた音を喉頭原音という。この喉頭原音(音波)が声帯から上の部分、すなわち喉頭腔・咽頭腔、口腔、鼻腔、副鼻腔、頭部の含気峰窩で共鳴することにより倍音が特定帯域ごとに増幅されて伝播され、我々は音声として聞く。この音声は内喉頭筋群による声帯の形、緊張、開閉などの変化、及び共鳴腔の形,スペースの変化を加えて調節して共鳴の変化をつくっています。

喉頭の構造と機能:喉頭は、呼気を音に変換する器官です。喉頭の構造は、後面は脊椎の上部(Ⅰ-Ⅶ頚椎)にささえられ、前面の枠組みは、甲状軟骨、輪状軟骨、喉頭蓋軟骨の各一個、左右の一対の披裂軟骨、その他の数個の軟骨、及び、舌骨一個、それらを可動的に連結する内喉頭筋と外喉頭筋、各種の靱帯で構成されています。甲状軟骨は、前方及び後方に傾くことができ、一対の披裂軟骨は前方と後方に滑ることができ、喉頭は舌骨に付着する筋肉網によって舌骨から吊り下げられている。歌唱における呼吸や発声は、声帯の声門が開閉して行う。声帯は左右一対であり、甲状軟骨の中央辺りの裏側から後背側水平方向に向かって、声帯の前端の左右が接着しており、後端が開閉することによって、両側声帯間のスペース部分である声門も開閉する。声帯は気管の出入口で隆起した粘膜と筋肉でできており、三層の構造になっている。その構造は表面が薄い粘膜上皮、その下に非常に可動性に富む粘膜下組織、さらにその下の深部の筋肉層で構成されている。これの粘膜と筋肉が目的に応じて、波動運動、開閉運動を行い、音声の変化をつくりだすことにかかわっている。上記、声帯の開閉、形態や緊張状態による音声の変化は、声帯周辺にある内喉頭筋とよばれる筋肉群によって調整される。歌唱の音楽表現に深くかかわっている、音声の高さ、強さ、持続、音質などの音声の変化は、その全ての因子が、内喉頭筋の調整を受けている。

 声区:クラシック音楽の声楽用語である「声区」は、パイプオルガンでパイプの長さと太さを変えて音色と音の高低の変化を表現するための用語。イタリアのジュリオ・カッチーニ(1545-1618)が提唱し、声楽家のマヌエル・ガルシア(1805-1906)によって声の分類に定着された。2008年現在においては、この声区の分類法は、時代、国によって異なっている。

 米山文明氏は、声区を「一定の発声方式による、同じ音色での一連の音程区域」と記しています。上記に対して、筆者の受けた声楽指導とヴォイスコーチングでは、声区という概念は無く、トレーニングでは、低音から高音まで一音一音を身体に刻んでいくというだけのものでした。

[呼吸法・発声法・及び・共鳴法の概要]     声楽の楽器である発声機構は、一般的には呼吸法、発声法、共鳴法によって構築されるとされています。呼吸法の目的は、呼気の流れのコントロールにかかわる肋間筋、横隔膜、腹筋、背筋、骨盤筋、臀筋をはじめとした全身の筋肉が歌手の意思どおりに運動することにあります。強く柔軟な筋肉の運動は、神経組織と筋肉の協調運動によってむらのない呼気の流れを実現します。このコントロールされた呼気の流れが喉頭内の声帯を通って、それより上方にある共鳴腔にすすみ、音声が呼気の流れの上で響き、呼気の流れに乗って歌手の身体の外へ出されて音声の響きが広がることを司るのが共鳴法です。このことから、共鳴は呼吸と連動しており良い共鳴は正しい呼吸法を前提としていることが示されているといえます。

L.ローマの研究では、共鳴腔を人の声の音響版(sound-board)と説明し、共鳴法とは音声を共鳴腔に設定(voice placing)することであるとしています。

歌唱の際の身体姿勢について:歌唱の正しい呼吸法の学習は自らの身体姿勢を自覚することから始まるといえます。その身体姿勢は、呼気が楽に発声器官を通って共鳴腔で振動することを目的とします。それは、その人にとって自然でらくな姿勢であり、背骨をまっすぐにして両足を肩幅に開き、首やあごの筋肉をゆるめて、両腕は脱力して自然に垂らし、骨盤筋と臀筋で腹部を支える、というものです。

歌唱の際の身体姿勢の工夫のひとつに次の例があります。それは、イメージとして、両足の下から地球の反対側の地点に体重が支えられているように意識し、また、頭頂は操り人形のように宇宙から釣られているように意識する方法が用いられています。このようにイメージすることによって、身体全体が、緊張をともなったリラックス状態となることの効果が認められます。

身体が声楽の楽器として機能するための最初の作業である呼吸について、米山文明氏は、「最も自然な呼吸は、仰臥姿勢で得られる」としています。

呼吸法単独では、ヨーガ、気功などが世界的に知られ、声の訓練法としては、オーストラリアの舞台俳優アレクサンダー(Frederick Matthias Alexander,1869-1955)が、自らの声の不調から考案したアレクサンダー方式などがあり、各々単独に、また、組み合わせた方法が研究されています。米山文明先生は、声楽発声学習現場での共通の呼吸法の解釈と訓練方法を希望されていました。

100人100とおりの身体に対する共通の声楽発声訓練法というのは、全ての身体的差異を問題にしないレベル、生物としての人間の本質的な身体機能というものに注目する必要があると我々は考えています。

[米山文明氏の提示した声楽発声]     前述のとおり米山氏は長年にわたる声楽発声研究の最終時には、ベルリンのミッテンドルフ研究所出身の呼吸法教師であるマリア・ヘラー(Maria HELLER)氏と共同で、呼吸と発声の接点をさぐる実践方式の研究を行い、声楽発声の訓練について、次のように提示しています。『呼吸器官、発声器官を別々に限定して訓練するのではなく体全体の動きとして呼吸をとらえ、動かすことのできる体のすべての部分を使って呼吸と発声につなげる方法をとり、最終的には必ず声につなげるところまで導く。』

[まとめ]     声楽の楽器作りの目標とするところは何か?それは大劇場で十分に響き、かつ繊細な表現に対応できる発声機構を持つ楽器としての身体を作ることであり、それはヴァイオリンやピアノのように一個の楽器としての機能を目指しています。声楽の楽器作りは、呼吸法・発声法・共鳴法が連動した総体的な身体活動としての発声機構を作ることと考えます。発声機構とは、身体内に歌うために必要な呼気が入り、歌うための身体各部位が連動して(拮抗しながらも)呼気の流れをコントロールし、喉頭原音を歌声に変換するための機構で、歌手が感じた瞬間に作動し、その感性表現に最適な歌唱を自動的に実現する機能を持っていると我々は捉えました。また発声機構が声楽演奏者の感性にリアルタイムに反応して機能するための身体運動能力(筋肉・骨格など)が発声技術であると、筆者は結論づけました。

[声楽発声訓練と身体運動科学への期待]     歌うことは、人生100年時代を支える健康への効果があることは既に実証されてきています。歌唱が身体総合運動であればこその健康への効果であると考えています。歌うことを身体総合運動と認識した上で、発声のメカニズムに則って、自分の身体と対話しながら進める声楽発声訓練は、継続することで、それまで気づかなかった自らの身体内部の変化に気づくことが多くなり、健康維持に有意義であると考えています。更に個々人固有の能力発見開発への期待を筆者は持っています。

[個別と全体]       身体と精神は1人ひとり異なるオリジナルなものであって、それら存在のメカニズムは同じであると思います。そのオリジナルである『個』と皆同じである『全体』を、理屈ではなく体で感じながら発声技術を高めていくのが声楽の楽器を作るトレニーニングだと考えております。この声楽の楽器を作るトレーニングには詩と作曲という芸術性が入ります。1人ひとり異なるかけがいのない感性を発見し育てる可能性があると筆者は考えております。その可能性は、2018年~2021年までの東京大学教養学部『芸術創造連携研究機構』での身体運動科学者・工藤和俊先生との授業『楽器としての身体:声楽の実践と科学』の履修生たちから示されました。主観性と客観性に注目したこの授業実施の結果で何が示されたかというと、実際に各人の歌声を聴いてみて、同じ歌声の人はいないことを各人の歌声の響きと共に体感し、それ故にマンツーマンの指導内容も異なることを納得して訓練の必要性を理解する中で、1人ひとり異なることは当たり前であるという自覚が自分自身を肯定させ、次第に姿勢が堂々としてきて佇まいが自然になり自信に満ちてくること、皆で一緒に歌う斉唱で自分の歌声が全体の歌声に溶けて響いていくのを体感する中で、自分はこの歌の集まりである全体を形成する1人でもあるという自覚が芽生えて、互いの存在に全身で気づき、良い響きを作る目的で互いを応援する雰囲気が醸成されたことです。個としての自分が響くことで全体の響きが充実することの体験であると思いました。授業最後の1人ひとりが独自に選んだ曲を歌う演奏会では、トレーニングを重ねて響きが充実してきた声で一生懸命歌う姿に、私は深く感動しました。中でも木下牧子作品を歌った学生さんの演奏に感動して自分が泣いているのに気づかかない様子で涙をぬぐわずに泣きながら聴いていた学生さんの姿は生涯忘れないと思います。そこには全く純粋な歌の世界が創造されていたと感じます。歌声を数値やグラフで確認できることに強い興味を持った学生さんは多く居られました。

指揮者・若杉弘氏から『年齢を重ねての豊かな人生体験は歌唱表現を豊かにする。その時に歌声が失われているのは悲しいよ。キープしてね。』と言われました。そのためには、声楽発声訓練を主観的観点だけではなく、客観的観点として非侵襲性の身体運動科学による実証が助けになると思います。

ミレッラ・フレーニをモデルケースとして掲げ、『歌唱発声技術はこの世を去る瞬間まで向上する』とのヴォイスコーチの説を信じています。歌唱表現に創造性を与えると考えている感受性を高めつつ、生涯、自らの声楽の楽器(身体)作りに努め、研究を深め、公開していきたいと思います。

それがどなたかの目に留まって少しでも歌声に効果がみられたなら本当に嬉しいことです…。

参考文献:・米山文明: 声の呼吸法-美しい響きをつくる 平凡社 第6刷(2006)・米山文明:DVD 声の不思議~美しい声を作るために~ 音楽の友社(2007)・Husler.F and Marling.R.Y : Singing The Physical-Nature of the Vocal Organ-A Guide to Unlocking of the Singing Voice, Faber and Faber Limited, London(1965),邦訳:大熊文子,須永義雄訳, うたうこと 発声器官の肉体的特質  音楽之友社(1987)

 

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