写真:《コジ・ファン・トゥッテ》フィオルディリージ(日程劇場)
オペラにデビューさせていただいたのは二期会研究生の時です。それは、二期会公演「タンホイザー」のお小姓役で『ヴォルフラムエッシェンバッハ、始めなさい』と4人のお小姓として歌いました。初めてオペラプログラムに役名と共に名前が表示されたのを母と父に見てもらいました。忘れたくない大切な思い出です。二期会のスタジオでこの役のためのオーディションが、初めてのオーディションになりました。受かった時はとても嬉しかったです。これも直ぐに母に報告しました。その時、母が何を思ったのか、聞けば良かったと思っています。
その後、ホフマン物語公演の時に指揮者の小澤征爾先生や公演プロデューサーの前でオーディションを受けた時はオリンピアのアリアを歌いました。私の時に、小澤征爾先生は「僕のテンポは少し違う。」と仰いました。他にもオーディションを体験しましたが、いつもの練習で最後に歌う演奏歌唱と同じに歌うことを考えて臨みました。
歌唱時に立っている両足は床から生えているように床にくっついている感覚を、歌った後にいつも感じていました。このことを後になって、「これは声楽の楽器である身体が物体として機能していることではないか?」と私は感じました。
音楽大学で指導させていただくようになり、試験やコンクールの際に日頃のレッスン時の身体姿勢が崩れて、いつもの歌唱レベルに残念ながら達しない学生さんを見てきて、「声楽の楽器は身体」であることを私なりに再認識しました。声楽発声基礎は身体の差異によらず学べると思いますが、人の身体は100人100とおりなので、楽器の最終調整は、それまでの学びを駆使して自分自身で行うのが最適と考えております。
名ソプラノのルチア・ポップ氏(1939 – 1993)の身体が楽器として機能する実態を見ることができたのは幸いでした。それはサントリーホールこけら落としの演奏会でルチア・ポップ氏とマーラー交響曲第8番(指揮は若杉弘、第一ソプラノがポップ氏、第二が豊田)を共演させていただいた時でした。
最初の顔合わせの時に、ポップ氏に私がアドバイスを望んでいることを指揮の若杉氏が伝えて下さり、ポップ氏はとてもチャーミングな笑顔で応えてくださいました。その時、ポップ氏は結婚したばかりで夫のザイフェルト氏がテノール演奏家として一緒に来日していました。
ポップ氏は折に触れていつでもアドバイスくださり、本番前は発声練習をし過ぎないよう、録音の時の歌声の響きは暗めに(注)などなど…、細かに、繊細なところまで教えてくださいました。その惜しみなく与えてくださる人となりの大きさに圧倒されました。(注)現在は録音機器も技術も変化していると思います。
ソプラノ1と2は隣りで並んで歌っているので、ポップ氏の、身体に息を招き入れるような身体姿勢をいつも肌身に感じることができました。歌唱中に少しもぶれない体幹と一体になりながらも、身体内部筋肉が微妙に動いているのを、リハーサルで何度も間近で見ることができました。身体が歌唱時に声楽の楽器として機能する様子を視覚的だけでなく、その息づかいを感じながら見ることができたのは最高の学びになったと思います。ポップ氏の身体内では、強靭な丹田の支えが機能している様子が私なりにイメージできました。それは、デュッセルドルフのボイスコーチのスターノ先生の丹田付近に手を置いて感じた強靭な筋肉の働きでした。筆者が歌唱体験によって仮説として持っている『身体が声楽の楽器として機能するためには身体内の強靭な筋肉が必要であり、その都度の演奏作品に最適な楽器は身体全体による調整によって準備される。』を意識しながら、ルチア・ポップ氏の演奏を間近で見て感じていました。共演の機会が与えられたからこそのかけがいの無い学びの時でした。・・・心から感謝しています。